過労自殺しました ブラック企業で死んでみたレポ1

過労自殺しました

1100時間の残業と人格否定の罵詈雑言に耐えながら労働すること8ヶ月。ある年の3月、私は生きることやめようとしました。

働けど働けど、全く評価されず、罵倒され侮辱される日々。遂に耐えきれなくなった私は、会社に行けなくなりました。

適応障害と診断され、療養を始めて数週間が過ぎたころ、ふと外の景色が見たくなり、部屋の窓から外の景色を眺めました。

アパートの前を通る幹線道路。いつもと変わらない風景。行き交う車、自転車に乗る人、ランドセルを背負った子供たち。

自分がいなくても変わらない世界。自分がいなくても支障なく動いている世界。

私は気が付きます。

こんなに苦しんでまで生きている必要は無いんだ!!

こんなに辛い思いをしながら生き続けなければならない理由なんか無いんだ!!

その時、「生きること」という義務から解放された。そう思いました。生き続けなくてもいい。私は心の底から安堵しました。

そして、私は一刻も早く生きることから解放されたいと思い、その方法を思案しはじめました。

「飛び降りと刃物はダメだ。血肉が飛ぶから。」

これから死のうというのに、借り物の部屋や道路を汚さない方法を考えます。

「入水もダメだ死体を探すのに手間を掛けさせる。できるだけ迷惑は最小限に。」

これから死のうってのに考えることはそんな事ばかり。

すると突然、頭に中学時代の記憶が蘇ります。

柔道部の同級生の、「このまえの試合で締め落とされて負けたんだけどさ、気持ちいくらい一瞬で意識無くなってさ、あれ超ヤバいわ。」という言葉を思い出しました。

なぜそんなことを覚えていたのか未だにわかりませんが、絞首→失神→窒息死 という流れが頭の中にできました。これなら首つりと違い、遺体が酷い状況にはならないと考えたのです。

それはそれは素晴らしい思い付きをした気分でした。

目を付けたのは、当時借りていたアパートの脱衣所のドア。
廊下で正座をして脱衣所のドアにもたれかると、ドアノブはちょうど後頭部のくらいの位置。首を括るにはちょうどいい位置です。

そのドアノブに皮のベルトをかけ、それを首に回して締め上げました。
首はドアノブの位置まで持ち上がります。
足を崩していくと体重が少しずつ首に掛かります。苦しさは解放へ近づく証だと、胸の高鳴りがしました。

更に身体を支えていた両腕から力を抜いていくと少しずつ息がつまり、血が滞ります。どんどん早くなる鼓動とは裏腹に、ゆっくりと遠のいていく意識の中、これで死ねると安堵しながら全身の力を抜いていきました。

自殺には失敗しました

視界はぼやけ、狭く、暗くなっていきました
眠りに落ちる前のふわりとした感覚を感じた瞬間、首から竹を折った様な破裂音。

突然目の前が明るくなり、身体が暴れだしました。
何かにとり憑かれたかのように手足がばらばら動き、激しく胴体を揺さぶります。

揺さぶられたことでベルトがずれ、ドアノブが体重に引かれて下がり、ベルトはドアノブを滑って外れ、私は床に崩れ落ちました。

身体の自由が利かず、痙攣し、口からよだれを垂らして激しく咳き込みました。心の中は「解放」されないことへの絶望と、失敗した自分への自責の念でいっぱいでした。

死なずに済んだのに、私は苦しみから解放されないことに深く嘆き悲しみました。

あの日の私は、そこまで追い詰められていました。

自殺に至った過重労働とパワハラ

では、そもそもなぜ自殺したのか?

その原因は冒頭にも書きました、1100時間を超える時間外労働を含んだ過重労働と、上司からの長期間にわたるパワハラです。その内容や経緯について簡単に書こうと思います。

私は、とある建設会社に勤めています。現在は休職中です。
大学を卒業後、新卒で今の会社に採用されました。

数か月間の新人研修を終え、私は設計部に配属されました。設計部もブラックでしたがそれは追々投稿しようと思います。

設計部で数年勤務した後、今度は建設現場で働く部署へ転属となりました。ここでは工事部と呼称しましょう。

この工事部こそが、悪徳と野心、退廃と混沌とをコンクリートミキサーにかけてぶちまけたここは惑星弊社のゴモラ。このブラック企業をブラックたらしめている諸悪の根源でした。

まず、転属してから1か月で時間外労働時間が180時間を越えました。36協定破りのぶっちぎり新記録です。労働時間は素直に申告しました。管理義務を怠ったとして人事部から注意された上司は、注意されたのは私のせいだと盛大にキレました。理不尽の一言です。

次に、上司の社用携帯の番号を業者さんに教えたという理由で蹴り飛ばされました。後ろから蹴飛ばされるなんて高校のケンカ以来でしょうか。理不尽の一言に尽きます。

地獄の日々の始まりはじまり。

転属早々に上司からキレられ蹴られの私は目を付けられました。そこから地獄の日々が始まります。ほんと理不尽…。

転属してから労務不能になるまでの約8か月間、罵詈雑言の数々を浴びせられ、大勢の前で罵倒されます。巻き込まれたくない周りは傍観するだけでした。完全に孤立無援です。

心が休まる数少ない時間は、上司から命ぜられた「施主さん所有の道路を1人、ひたすらデッキブラシで掃除する仕事」の最中だけでした。仕事外しというやつです。

1人ですから怒鳴られる心配はありませんが、デッキブラシで道路をこする度に、何か大切なモノが無くなっていく気がしました。

仕事外しはされますが、面倒な雑務はどんどん押し付けられます。
事務用品の発注、トイレの掃除、膨大な数の図面整理、CADでの図面修正、あれ取ってこい、あれ持ってこい、etc. etc.…気が付けば夜の9時、10時なんていつもの事です。

もちろん仕事が終わらなきゃ帰れません。しかし、残っていると上司がキレます。仕事を残せば先輩社員が怒ります。それを聞きつけて上司がまたキレます。ダブルバインドです、ほんと地獄だ。

昼間は雑用と道路の掃除、夜は事務仕事とトイレの掃除。
完全”週休”二日制の会社に就職したはずが、いつの間にか完全”月休”二日制に変わっていました。

その結果、約8か月の時間外労働時間の累計は1100時間を越えました。
月平均で大体140時間の時間外労働。過労死ラインのK点越えやー。

あらためて書くと人の所業とは思えない。人でなしとは、まさにこの事。

更に自殺の約2か月前、過重労働はピークを迎えます。
工事が遅れに遅れて大問題となり、遅れを取り戻すために3週間無休で朝の7時から夜の11時まで働き続けることになりました。まさにセブンイレブン!!

そしてある朝、遂に心身共に限界を突破し出勤することができなくなりました。むしろよく耐えた俺。頑張りすぎだ。

しかし、過重労働とパワハラに耐えた8か月間の代償は、あまりに大きなものでした。
もはや何も考えることのできない頭と、寝たきりで動かなくなった身体、そして壊れ切った心だけが残されました。

そして、出勤できなくなってから1か月が経とうとしていたある日。
私はフラッシュバックや得体の知れない恐怖から逃れるために、辛うじて動くようになった身体を使い、自らの命を絶とうとしました。

まとめ

ここまで読んで下さりありがとうございます。
ところどころにネタを挟んで申し訳ございません。あまりにひどい経験ですので、こんなノリじゃないと反吐が出そうで書けません。

実は冒頭のの自殺の描写、本文中に「自殺」という言葉は一度も使っていません。気が付きましたか?

なぜそんな文章にしたのか。それは私自身がその時の行為を「自殺」とは認識していなかったからです。

あくまでも「生きること」という義務からの「解放」であり、後ろめたさも、恐怖もありませんでした。人は、追いつめられるとそこまで認識が歪むものなのです。

今、職場で理不尽な思いをしている人、苦しい思いをしている人。そして何より、もはや職場に条件反射で通っている人。

一度、病院に行ってカウンセリングを受けて見てください。親でもない友人でもない第三者の言葉は、きっと貴方を良い方向へ導いてくれます。

苦しみの中で希望を探すより、苦しみそのものから抜け出す道を探しましょう。

今の私に言えることはこれが精一杯です。

いずれカウンセリングについても記事を書きたいと思います。

それでは、みなさままた逢う日まで。